こんにちはチェリーコーク木村です。
今回は3月21日に引退を発表したイチローを取り上げます。
来るべくして来てしまったイチローの引退。
野球選手はいつか必ず引退してしまうのではありますが、寂しい気がします。
日本だけではなく、世界の「ICHIRO」になったイチローですが、
引退会見でもイチローらしさが飛び交いました。
引退会見は1時間25分にもおよんだ長い会見でした。
そこから、イチローらしいと感じた「超一流の生き方」を今回はお伝えしていきます。
※まだ見ていない方はご覧ください。
木村は元球児です
実は木村は、元球児です。ですので、イチローのことは子供のころから興味の対象でした。
私が12歳の時である2000年11月に、
イチローは日本人初のポスティングシステムによってシアトルマリナーズに移籍します。
金額は1300万ドル。その後、正式契約を1400万ドルでメジャー契約を結び、
日本人野手初のメジャーリーガーとなりました。背番号はオリックス時代と同じ「51」です。
イチローは最後の夏の甲子園には出場していません。
地区大会の準決勝で敗れているためです。またドラフトもオリックスブルーウェーブで4位での指名でした。
決して、最初から注目を浴びていた選手ではありませんでした。
入団して数年は1軍と2軍を行ったり来たりしています。
その後、名将仰木監督と出会い花が開きます。
振り子のように足を動かす「振り子打法」も注目を浴びましたね。
後悔はありません
「今、その(引退)の決断に後悔や思い残したところは」という引退会見の質問に対して、
イチローは「後悔はない」と言いきります。
今日の球場の出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。
もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、
他人より頑張ったということはとても言えないですけど、
自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。
これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います。
「他人より頑張ってない」わけがないイチローですが、
他人と比較することなく、常に自分と比較して努力をしてきたイチローだからこその言葉の重みがあります。
毎日自分と闘い、努力を積み重ねることでしか方法はないし、
その積み重ねをしない限り後悔をしてしまうのだと思います。
イチローは成績も素晴らしいのですが、
ストイックに生きてきたという印象があるのでレジェンドとして尊敬されているだと思います。
毎朝食べるものや、球場に入ってから試合までのルーチン作業なども
すべて決めているということをテレビで見たときは、この人は本当にレベルが違うと思ったものです。
夢中になるものを見つけろ
「子供たちにメッセージをお願いします」という質問に対して、夢中になるものを見つけろと答えます。
それ(夢中になるもの)が見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも、
壁に向かっていくことができると思うんです。
それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。
いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。
イチロー自身、子供の頃から野球に熱中しています。
彼が書いた小学生の時の作文は有名です。
『ぼくの夢』
愛知県西春日井郡 とよなり小学校
6年2組 鈴木一郎
ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。
活躍できるためには練習が必要です。
ぼくは、3歳のときから練習を始めています。
3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが3年生の時から今では、
365日中360日は激しい練習をやってます。
だから1週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして中学、高校と活躍して、高校を卒業してからプロに入団するつもりです。
そしてその球団は、中日ドラゴンズか西武ライオンズです。
ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です。
ぼくが自信があるのは投手か打撃です。
去年の夏、ぼくたちは全国大会に行きました。
そして、ほとんどの投手を見てきましたが、
自分が大会NO1選手と確信でき、
打撃では県大会4試合のうちホームラン3本を打ちました。
そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。
このように自分でも納得のいく成績でした。
そしてぼくたちは、1年間負け知らずで野球が出来ました。
だからこの調子でこれからも頑張ります。
そしてぼくが一流の選手になったら、
お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも「夢」のひとつです。
とにかく1番大きな夢は、プロ野球選手になることです。
小学生のころから目標を明確に設定して、
着実に成長していき「プロ野球選手」で終わらず、
「メジャーリーガー」にまでなってしまうイチローはやはりすごいとしか言いようがないですね。
イチローは引退会見でもこの作文に触れ、「契約金は1億円もらえなかった」とコメントし、
会場の笑いをとっていました。確かに契約金は1億円ではありませんでしたが、
今までの年俸を合計すると170憶円程度は稼ぎだしています。
それ加えて、CMにも出演しているので合計で200億円程度は稼いでいるのではないでしょうか。
作文の内容以上の出来になっていると私は思います。
イチローの年俸推移をみてみる
イチローの年俸推移は以下のようになっています。もう化け物級の稼ぎ方です。
<オリックス・ブルーウェーブ時代>
1992年 430万円(契約金4000万円)
1993年 800万円
1994年 800万円
1995年 8,000万円
1996年 1億6,000万円
1997年 2億6,000万円
1998年 4億3,000万円
1999年 5億円
2000年 5億3,000万円
<マリナーズ時代>
2001年 約6億9,133万円($5,666,667)
2002年 約4億6,200万円($3,696,000)
2003年 約5億4,133万円($4,666,667)
2004年 約7億200万円($6,500,000)
2005年 約13億7,500万円($12,500,000)
2006年 約14億5,000万円($12,500,000)
2007年 約14億7,500万円($12,500,000)
2008年 約18億5,400万円($18,000,000)
2009年 約16億9,200万円($18,000,000)
2010年 約15億8,400万円($18,000,000)
2011年 約14億4,000万円($18,000,000)
2012年 約14億4,000万円($18,000,000)
<ヤンキース時代>
2013年 約6億3,700万円($6,500,000)
2014年 約6億8,900万円($6,500,000)
<マイアミ・マーリンズ時代>
2015年 約2億4,200万円($200,000)
2016年 約2億1,800万円($200,000)
2017年 約2億2,400万円($200,000)
<シアトルマリナーズ時代(2回目)>
2018年 約8,250万円($750,000)
2019年 約8,175万円($750,000)
イチローの引退会見の中で、
ヤンキース時代とマイアミ・マリーンズ時代は「いつ首になってもおかしくない状態」
という緊張感をもってプレイをしていたと発言していました。
成績も落ちていましたし、精神的にはかなりきつかったのではないかと思います。
辛いことに立ち向かうことが人として重要
イチローの引退会見の締めは以下のようなものでした。
つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、
でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。
そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。
ここがイチローの本心でもあるのではと思います。
自分と向き合ってひたすら高みを目指していったイチロー選手に「本当にお疲れ様でした。今までたくさんの感動をありがとうございます。」と言いたいです。
本当にお疲れ様でした。
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